THE ORIGINAL "HIP HOP" WEAR

今やミュージックシーンの最先端を走り続け、
世界のヒットチャートを席巻する音楽、それが『HIP HOP』。

「DJ」「RAP」「DANCE」「GRAFFITI」の要素からなる
HIP HOP カルチャーが産まれたのは、
1970年代、ニューヨークのストリート。

その創世記を支えたファッションブランドは『Lee』なのです。

過去から現在、そして未来へと続く、
ストリートカルチャーのレールを走り続けるLee。

その軌跡を、ここで紹介致します。

What is HIP HOP

DJ

MC

DANCE

GRAFFITI

4つの要素からなるカルチャーの総称、それが "HIP HOP"。

DJ が流す音楽にMCがラップをのせる
そのフロアーではダンサーが踊りGRAFFITIライターがアートを描く
全てが連鎖して産まれるカルチャー

HIP HOP共通の合言葉、それは「PEACE(愛)」「UNITY(団結)」「LOVE(愛)」 ストリートギャングの抗争を無くすために産まれたこのカルチャーは、この合言葉を元に拡散を続け、「HAVING FUN(楽しむこと)」を創り出すムーブメントとなっています。

The Beginning of HIP HOP

1970'

1973年にジャマイカからの移民である
KOOL HERC(クール・ハーク※写真右側)
が開いたパーティーが発祥

Where?

ニューヨークのブロンクス
SEDGWICK 通り 1520 にある
アパート内の共用ルーム

ここでKOOL HERCは
パーティーを開きました

ATTENTION

HIP HOP カルチャーのオリジネイターでもある DJ KOOL HERC も 当時の写真にて、Lee 101J のジャケットを着用しています。

この事からも、HIP HOP が産まれた時代に、
Lee はストリートカルチャーと深いつながりがあった事が分かります。

Lee RIDERS
デニムジャケットをチェック

HISTORY in New York

1970'

HIP HOP カルチャーのオリジネーター
DJクールハークの着用に代表されるように
当時のストリートシーンでの支持を得ていたLee。

その当時の様子を知り、今も第一線で活躍するオリジナルダンサーのひとり、
「Mr.WIGGLES」に、その歴史をインタビュー。

Mr.WIGGLES(ミスターウィグルス)

HIP HOP 創世記より活動する、レジェンドストリートダンサー。
Rock Steady Crew,Electric Boogaloos等のトップクルーに在籍し、
T5C Crew というグラフティークルーにも所属。
Leeの2022FWにおける、THE BOOGIE DOWNのデザインも彼によるもの。

Q:質問,W:Mr.Wiggles,翻訳:Kiddy
あなたがストリートダンスを始めた1970年代、パークジャムやクラブパーティではどんな人達が集まって、どのように楽しんでいたかを教えてほしいです。
70年代と80年代初期のヒップホップはピュアでとても楽しかったね。ただそれと同時にブロンクスというエリアは危険だったのでとても怖く、毎日何が起こるかわからない常にアドベンチャーな環境だったよ。イケてる服を買いに行くときも、買った服を盗まれたりカツアゲに会わないように常にクルー(仲間)といて、どこへ行くにもギャングのように振る舞っていたよ。
Leeのセットアップや、Pro-Kedsに合うモックネックシャツ、トラッカーハット、ネームバックル(自分やクルーの名前入りのベルト)、シルバーメダリオン(メダル型のネックレス)といったフレッシュな服を手に入れた後には、パークジャムへ遊びに行って、自分の好きなDJのプレイを聴きに行くことが俺たちのミッションだったよ。
俺達の地元では「L BROTHERS」「GM FLUSH」「ZULU」や他にも俺のクルーである「FASCINATING FORCE」みたいなDJクルーがプレイしていたんだ。運が良ければ一晩だけで2〜3つのジャム(パーティー)を回ることもできたんだよ。TINTON PROJECTSのような小さなジャムから、徒歩でMOORE HOUSE PROJECTSに行って、52 PARKにも誰がジャムしているかを見に行っていたよ。
ジャムのあとは、ピザショップに寄ってピザ、ルートビア、バーベキューポテトチップス、40オンスのOL E(Old English Beer)を買って、俺らがいつもつるんでいるストリートでスラップボクシング(52ブロックスタイルのストリートファイト)をしたり、ジャムのテープを聴いたり、他愛も無いジョークを言い合ったりしてチルしていたよ。
ラップビジネスがなく、子どもたちが道端で郵便ポストを叩きながらMCをして遊んでいた頃が、ヒップホップで一番ピュアな時代だったね。
当時のダンサー、ラッパー、DJたちがLeeのウエアを着ているのをよく見ますが、Leeはストリートで人気でしたか?エピソードなどあればを教えてください。
Leeのジーンズは間違いなく『ヒップホップのオリジナルウエア』だよ。Leeのベルボトムやストレートジーンズは、近所の仕立て屋に持って行って、折り目をつけてもらって、さらに上から下まで縫い目を縫ってもらうんだよ。ジーンズの裾を折り返したり、後ろも折り目を付けたり、たまにズボンの裾にチャックを付けたりもしていたよ。俺のクルーの中でファンキーに見えるようにカーテンボールを付けている奴もいたね。ジャケットの後ろとパンツのサイドに、グラフィティをアクリル絵の具、マーカー、スプレーペイントで描いてもいたよ。Leeのロゴのプリントや刺繍、ロゴパッチなどが入った帽子やTシャツはもちろんヘッドバンドなども、どのアイテムでもかっこいいとされていたよ。
Leeのロゴは文字がグラフィティと同様にイケていたので、そのロゴ自体が人気で、レザーのパッチもオーセンティック(本物)でフレッシュで、そのレザーパッチとの組み合わせは何でもドープでだったよ。フレッシュなセットアップデニムスーツにモックネックやPro-Kedsのキックス、そしてトラッカーハットとかを合わせていたね。加えてネームバックルやシルバーメダリオンチェインネックレスも身に着けていたよ。
当時の有名なクルーである「The Boogie boys」は白い手袋にPLAYBOYのBunnyのロゴ入りトラッカーハット、そしてリストバンドを付けていたね。俺はゴルフや野球のレザーの手袋を付けてフレッシュに見せていたよ。Leeのジーンズはブルーデニムだけではなく、ライトグレー、白、青、ベージュ、、、といったカラフルな色もあったから、俺は何にでもマッチできるライトグレーの色が、Leeのツイル生地のパンツで一番好きだったよ。LeeのセットアップスーツにLe Tigreのポロシャツを全色、そこに名前をスプレーして、さらにベルトもコーディネートするんだ。特に俺のクルーはLeeのセットアップを、自分たち独自でカスタマイズしているところがイケていたね。
俺はデニムジャケットにグラフティを描くのが上手かったので、ブロンクス中の子ども達が俺の家を訪ねてきて、100ドルを支払って描くように頼まれることが増えて行ったんだよ。ダンスとと共にジャケットペインティングが新たな小遣い稼ぎになり、それを今でもやり続けているんだよ。
当時のダンサー、ラッパー、DJたちがLeeのウエアを着ているのをよく見ますが、Leeはストリートで人気でしたか?エピソードなどあればを教えてください。
Leeのジーンズは間違いなく『ヒップホップのオリジナルウエア』だよ。Leeのベルボトムやストレートジーンズは、近所の仕立て屋に持って行って、折り目をつけてもらって、さらに上から下まで縫い目を縫ってもらうんだよ。ジーンズの裾を折り返したり、後ろも折り目を付けたり、たまにズボンの裾にチャックを付けたりもしていたよ。俺のクルーの中でファンキーに見えるようにカーテンボールを付けている奴もいたね。ジャケットの後ろとパンツのサイドに、グラフィティをアクリル絵の具、マーカー、スプレーペイントで描いてもいたよ。Leeのロゴのプリントや刺繍、ロゴパッチなどが入った帽子やTシャツはもちろんヘッドバンドなども、どのアイテムでもかっこいいとされていたよ。
Leeのロゴは文字がグラフィティと同様にイケていたので、そのロゴ自体が人気で、レザーのパッチもオーセンティック(本物)でフレッシュで、そのレザーパッチとの組み合わせは何でもドープでだったよ。フレッシュなセットアップデニムスーツにモックネックやPro-Kedsのキックス、そしてトラッカーハットとかを合わせていたね。加えてネームバックルやシルバーメダリオンチェインネックレスも身に着けていたよ。
当時の有名なクルーである「The Boogie boys」は白い手袋にPLAYBOYのBunnyのロゴ入りトラッカーハット、そしてリストバンドを付けていたね。俺はゴルフや野球のレザーの手袋を付けてフレッシュに見せていたよ。Leeのジーンズはブルーデニムだけではなく、ライトグレー、白、青、ベージュ、、、といったカラフルな色もあったから、俺は何にでもマッチできるライトグレーの色が、Leeのツイル生地のパンツで一番好きだったよ。LeeのセットアップスーツにLe Tigreのポロシャツを全色、そこに名前をスプレーして、さらにベルトもコーディネートするんだ。特に俺のクルーはLeeのセットアップを、自分たち独自でカスタマイズしているところがイケていたね。
俺はデニムジャケットにグラフティを描くのが上手かったので、ブロンクス中の子ども達が俺の家を訪ねてきて、100ドルを支払って描くように頼まれることが増えて行ったんだよ。ダンスとと共にジャケットペインティングが新たな小遣い稼ぎになり、それを今でもやり続けているんだよ。
1970年代当時のクラブで踊るB-BOYが着用するのはもちろんLeeのデニム

HISTORY in Japan

1980'

日本のヒップホップカルチャーは
代々木公園で育てられた

そんなHIP HOPカルチャーが日本に入って来たのは
1980年代前半

FLASH DANCE,WILD STYLE,BEAT STREET,Breakin'など
数々のストリートカルチャームービーと共に日本へ

そんなムーブメントの中心だった代々木公園
その現場でまさに日本のHIP HOPカルチャーを育てたとも言える
オリジネーターの2人にインタビュー

CRAZY-A
1980年代より代々木公園や原宿歩行者天国にてストリートダンスを始めた日本HIP HOP界の第一世代。 またRAPシーンに於いても先駆者であり、ライムスターを始め数々の客演にも参加。 日本を代表するHIP HOPカルチャーフェス、『B-BOY PARK』の主催者でもある。
HORIE HARUKI
CRAZY-Aと同じく日本HIP HOPシーンの第一世代のキャリアを持つ。 多彩なジャンルを踊りこなす、ストリートダンスシーンのレジェンド。 現在でもそのダンス進化を続け、数々のイベントのショーケースやジャッジ、そしてMCもこなすなど、多岐に渡る活躍を見せている。
Q:質問,A:CRAZY-A,H:HORIE HARUKI,写真提供:Cake-K,HORIE
どうしてホコ天や代々木公園でストリートダンスをするようになったんですか?
1983年に映画『FLASHDANCE』を見て、その中にストリートでブレイクダンスをするシーンがあるんだけど、それを見て、誰かやってないのかな?ホコ天だったらいるんじゃないかな?と思って見に行ったんだよ。
僕が通うよりも前にCRAZY-Aさんのほうが先に通っていて、もう定着までさせてたんですよ。
当時「ディスコロボ」という名のラジカセがあったんだけど、最初に行った時にそれが道端に置いてあって、ラップみたいなのが流れてたんだよ。そこに何人か若者が集まって来てフリーで踊り始めて、「あ、仲間を見つけた!」ってなったのが始まりかな。その時に結構盛り上がったから、来週も集まろうよって仲良くなって、3週間くらい続けて集まってたんだけど、4週目にそのディスコロボを持って来てたおじちゃんが来なかったのよ。
それでラジカセを持ってくるのをCRAZY-Aさんが担当になったんですね?
そう、ディスコロボじゃなかったけど、当時持ってた自分のラジカセだね。
CRAZY-Aさんが毎週持って来るようになったから、その場でストリートダンスをするというカルチャーが定着したんですね?
そうだね。それで当時集まってたメンバーに実家が段ボール屋をやってるヤツがいて、そいつが段ボールを持って来てたので、それを敷いてバックスピンとかしてたね。
僕はその頃は自分のクルーメンバーと、ホコ天を偵察しに行ってましたね。それで既にギャラリーが沢山見ていて、色々と教えてくれるんですよ。「あいつがCRAZY-Aってヤツで上手いんだよ」「その隣のヤツは少ししつこいから、絡まれないように気をつけろ」とかね。
ははは、いたよね、そういうマニア目線のギャラリーは(笑)その年の夏は、一気にダンサーもギャラリーも増えたからね。時代的にもHIP HOPって物が海外から本格的に入って来たタイミングだったんで、恵まれてたよね。
結構な勢力でしたもんね。真ん中にB-BOYSが居て、その周りをガーッと見物客に囲まれていて、巨大なコロニーになってましたもん。
主にどんな人がダンサーとして集まっていたんですか?
みんな年齢は若かったけど、職業はバラバラだったね。いわゆる瘋癲(ふうてん)って呼ばれるような人もいたし(笑)、反対に公務員の人もいたりしたね。
サブリーダーは国鉄(※現JR)の職員で、総武線の運転助士だったよ。公務員だからショータイムの仕事とかは受けれなかったんだけどね。
あとは消防士もいましたよね。僕は高校生だったし、本当に色んな身分の人が集まってたよ。
それにダンサー以外にも、同じ場所に色んな人がいたよね。
ロックンローラーは沢山いたね。竹の子族(※派手な衣装でステップダンスを踊る集団)は下火になってたので、少なくなってた頃かな。原宿駅に近いほうから、ロックンローラー→竹の子族→ブレイクダンサーって感じで、暗黙の縄張りはあったね。最初はホリエ達は別の場所でサークル作ってたよね?
一緒にいると吸収されちゃうんじゃないかと思ってましたね。だってCRAZY-Aさんのグループは年上だし、高校生からしたらやっぱ怖かったし、「半年前だったらカネ取ったぞ」とか言われて(笑)
俺達そんな事言ってたのか(笑)
言ってましたよ(笑)!でも「俺達はHIP HOPだからそんな事はしない」「暴力で解決する事はしないんだよ」って言って、凄く可愛がってもらってましたね。
俺なんかヤンキー上がりだったし、ホリエは真面目な高校生だったから、確かに怖かっただろうね。
でもそういう点ではニューヨークと同じで、ストリートで暴れてるようなヤツがそのままやれるようなカルチャーなんですよ、HIP HOPは。なので東京もニューヨークと同じ道を辿ったんだと思いますよ。
その時期に、Leeのウエアを好んで着用するようになったのは何故ですか?
俺達より先にファッションに目を付けてたのは、ホリエ達のほうだったよね?
そうですね、当時の俺達のクルー(MYSTIC MOVERS)のリーダーである「Cake-K(ケイク ケー)」が、"ダンスにはスタイルってものがある""ニューヨークのスタイルを俺達はやろう"って言ってたんだよ。なのでニューヨークのスタイルを映画の『WILD STYLE』や、そこに出ている『ROCK STEADY CREW(※当時の有名クルー)』のメンバーを必死に研究していたんだよね。それである日、"ジーンズがLeeだ"っていう法則に気付いたんだよ。
それでLeeを探して買うようになったんですね?
ただ当時はLeeは一般的に売られていない時代で、探すのが大変だったんだよ。
都心のメインブランドはリーバイスだったからね。
ただ俺達の活動エリアは下町に近くて、秋葉原やアメ横の小さなお店には置いてたんだよ。それでROCK STEADY CREWのメンバーの着こなしを研究すると、70年代が少し入ってるんだよね。タイトなシルエットだったりするんだけど、それはもう80年代の日本では終わったスタイルなんで、出回って無いんだよね。でも下町のほうのお店だと、そういう少し時代遅れな物が売れ残ってるんだよ。型落ちの物が残ってる店をあえて探して行ってたね。今日来てるジャケットもその当時の物だよ。
そうなんですね!購入した当時のエピソードなんかを教えてもら得ますか?
アメ横に俺達が「Lee屋」と読んでるジーンズ店があって、そこで買ったんだよ。そこには気合いの入ったLeeのウエアをアメリカから買い付けて置いていて、その頃はLeeが欲しくて欲しくてね。当時僕は高校生だったんだけど、CRAZY-Aさんの紹介で「風見慎吾」さんのバックダンサーのお仕事を既にしていて、その時にもらったギャランティで買ったんだよ。親に買ってもらったんじゃ無いです、これは。
偉いじゃん。
それで「これを来週のホコ天に着て行こう」って興奮するワケですよ。毎週ホコ天でのストリートダンスは、どれだけ1週間で自分が成長したかみたいなのを見せ合う場所だったので、「これを着ていけば絶対来週は俺が中心になれるぞ!」って思いながら買ったね。
Leeの着こなしで意識してる部分とかはありますか?
基本は細身だね。シルエットが綺麗に見えるようにね。
ジャストサイズで着るんだよね。ブレイクダンサーの定番と言えば『adidasのセットアップジャージ』で、それももちろんアリなんだけど、ジーンズ上下で踊るっていうスタイルを当時押してたのは俺達だったよね。
みんなジャージかシャカパン(※ナイロンパンツ)だったよね。
ニューヨークのお手本ダンサーを見れば、みんなジーンズで踊ってたんだよ。ただそれは「渋い」角度からのHIP HOP情報で、コマーシャルなHIP HOPは、ピンクのシャツとか着て腕にジャラジャラ飾りを付けて、ジャズダンスだかHIP HOPだか分からないようなスタイルだったよね。俺達はそんなコマーシャルなHIP HOPじゃなくて、本当のストリートスタイルをやりたかったから、Leeに辿り着いたんだよね。
あとはやっぱ安かったんだろうね。当時のニューヨークでは、リーバイスとかに比べて買い易かったみたい。
それは当時アメリカから来たB-BOYに聞いても、そう言ってたよ。「何でLeeなの?」「安いからだよ」って。でも当時は最先端カルチャーだったから、何か新しい教科書が出来たら、基本はすぐそれに染まってたね。『NEW YORK CITY BREAKERS(※当時の有名クルー)』が全身タイツを着たら、次の週からみんなタイツ、みたいな(笑)
そこももちろん通ってるんですね(笑)?
もちろんだよ。全身タイツなんかオーダーして作ったからね。
全部一回通ってみて、自分達に合うか合わないかを判断するんだよね。
今のB-BOYにもそういったファッションに対する意識を持ってもらいたいですか?
俺達がストリートに出る時のファッションは、「背伸びして少しよそ行きをする」ような意識だったからね。踊りやすさよりも、格好良さ優先。
やっぱり「音楽」と「ダンス」の世界なんで、「お洒落」と「見られている」っていう意識は、最後まで大事だと思うね。「機能性重視になるな」ってのがオールドな俺達からの意見ですけど、もう自分達も応援する立場なのでね、基本的に若者は応援してますよ。
今の現役世代は孫くらいの年齢だからね(笑)。俺達がうるさく言うモンじゃないよ。
大部分のB-BOY達は20代中盤で続けられなくなるから、若い内は暴れておいたほうがいいね。若くても名前が獲れるカルチャーだから、ガンガンやってください!
日本でウダウダ言ってるより、世界に出て行ったほうがいいよ。
貴重なヒストリーとご意見、ありがとうございました!
そこももちろん通ってるんですね(笑)?
もちろんだよ。全身タイツなんかオーダーして作ったからね。
全部一回通ってみて、自分達に合うか合わないかを判断するんだよね。
今のB-BOYにもそういったファッションに対する意識を持ってもらいたいですか?
俺達がストリートに出る時のファッションは、「背伸びして少しよそ行きをする」ような意識だったからね。踊りやすさよりも、格好良さ優先。
やっぱり「音楽」と「ダンス」の世界なんで、「お洒落」と「見られている」っていう意識は、最後まで大事だと思うね。「機能性重視になるな」ってのがオールドな俺達からの意見ですけど、もう自分達も応援する立場なのでね、基本的に若者は応援してますよ。
今の現役世代は孫くらいの年齢だからね(笑)。俺達がうるさく言うモンじゃないよ。
大部分のB-BOY達は20代中盤で続けられなくなるから、若い内は暴れておいたほうがいいね。若くても名前が獲れるカルチャーだから、ガンガンやってください!
日本でウダウダ言ってるより、世界に出て行ったほうがいいよ。
貴重なヒストリーとご意見、ありがとうございました!
Leeのデニムアイテムを中心にコーディネートする1986年の「TOKYO B-BOYS」のストリートでの1枚

Keep on HIP HOP

2020'

1970年代に産声をあげたHIP HOPカルチャーは進化し続け
ストリートダンスのシーンに於いては
オリンピックにも名を連ねるほどのカテゴリとなった

そんな現代のダンスシーンとLeeウエアについて
現場で活躍するリアルなストリートダンサーにインタビュー

KAZUHIRO

Q :

Leeというブランドを意識するキッカケは何でしたか?

K :

やっぱり『BEAT STREET』の映画だね。当時はブランドというものを意識して無かったけど、あの映画の中で着用してるのを見て、カッコいいなと思うようになったね。

Q :

Leeを着用するのはどんなタイミングですか?

K :

今は特に意識しないくらい頻繁に着てるよ。踊る時、ジャッジする時、イベントを見に行く時、ショッピングに行く時なんかも。

Q :

最近B-BOYはあまりデニムを着用するイメージが少なくなりましたが、そこに思う事などありますか?

K :

押し付けがましい意見はしないけど、やっぱりデニムのセットアップとかは「戦闘服」みたいな気合いが入るので、ストリートっぽくラフに普段着で人前に出る良さもあるけど、ここぞという時にLeeのようなウエアをチョイスして欲しいね。

RA1ON

Q :

Leeというブランドを意識するキッカケは何でしたか?

R :

80年代のB-BOYやストリートの写真とかを見て、着ている頻度が高くて意識するようになりましたね。それで自分も着てみたいなって憧れも出てきて、今は好んで着用しています。

Q :

気に入ってるウエアとかはある?

R :

Fleesyがメッチャ気に入ってます。素材感も動きやすくてシルエットも良く見えます。

Q :

ジーンズで踊るのはどんな時?

R :

結構こだわりは強くて、トップスのシルエットに合わせてジーンズも選ぶんですけど、他のパンツに比べてガッシリとした質感が出るので、そういう見せ方の時はやっぱりジーンズを選びますね。

Leeを愛用するB-BOYのSNSをチェック

Leeはこれからも
"HIP HOPオリジナルウエア"として
カルチャーと共に走り続けます

PRODUCT LINE UP
  • 【THE BOOGIE DOWN】
    220J ライダージャケット
    [4色展開] インディゴブルー

  • 【THE BOOGIE DOWN】
    220J ライダージャケット
    [4色展開] 濃色ブルー

  • 【THE BOOGIE DOWN】
    220J ライダージャケット
    [4色展開] ブラックデニム

  • 【THE BOOGIE DOWN】
    220J ライダージャケット
    [4色展開] ブラックデニム2

  • 【THE BOOGIE DOWN】
    200 ストレートパンツ
    [4色展開] インディゴブルー

  • 【THE BOOGIE DOWN】
    200 ストレートパンツ
    [4色展開] 濃色ブルー

  • 【THE BOOGIE DOWN】
    200 ストレートパンツ
    [4色展開] ブラックデニム

  • 【THE BOOGIE DOWN】
    200 ストレートパンツ
    [4色展開] ブラックデニム2

  • 【THE BOOGIE DOWN】
    グラフィックプリント
    ロングスリーブTシャツ
    [1色展開] ホワイト

  • 【THE BOOGIE DOWN】
    ラグランプリントスウェット
    [2色展開] ネイビー

  • 【THE BOOGIE DOWN】
    ラグランプリントスウェット
    [2色展開] ホワイト

  • AMERICAN RIDERS
    101Z ストレートジーンズ